※連載(仮題)マレーシア浮遊記

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結局、ゼミ論の英文要約が未完成のまま、海外に行くことになってしまった。

今回の旅の目的。

正直なところ、あまり明確な目的はない。作りたくない。「目的がない」ということを目的にしている、とも言えるかもしれない。


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私とマレーシアの出会いは、2年前の夏休みにソウルで泊まったゲストハウスで観光客2人と話したことからだった。彼らとは英語で会話できたし、中国語も使えるという。色々と話を聞いて不思議なことが多かった。日本に戻っても、何となく気になっていて、秋学期には金子ゼミに申し込んでいた。

私はゼミ論でハラル産業がグローバル化している様子をマレーシアという国家の成立過程から論じようと試みた。ゼミ論は提出の締め切り1時間前まで粘ってみたが、自分が何を言っているのかさっぱり分からない。論文の構成をしていくうちに、先行研究の先駆者たちがすでに答えを出していることに打ちひしがれる。満足いく論文とは程遠い完成となった。上手くいかなかったことへの消化不良も、旅行のモチベーションに加わっているのかもしれない。

金子先生や他のゼミ生に何か面白いことをしてやりたい、そんな気持ちもあったかもしれない。もしくは、自分がこうしてブログを書くことを公言してまわったことも。ブログ書くことが自体が目的になってしまったようにも感じる。


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目的の目的化。

自分探しのための旅。

生きることの意味を探すこと。


もう、日本中の就活生みんながうんざりしているテーマだ。面白がって自己分析やってる人はなんか怖い、そんな世界。

ネットを探せば使い古されるほど出てくる時代、自分の考えていることに対する答えは簡単にGoogle先生が教えてくれる。

例えばドイツの偉大な哲学者、ハイデガーはこう言っている。

「近代はニヒリズムそのものだ」と。

ニヒリズム、つまり人生の目的の喪失。近代から現代までずっと、世界はニヒリズムに覆われているらしい。ニヒリズムは「将来の夢」や「第一志望」のように、生きることの目的を巧妙にすり替える。本当は、人間は生まれた瞬間死ぬことが決まってるのに、生きる意味などない、そのことを隠すことが問題だ、ハイデガー大先生はそう言っている。


あずまんこと、東浩紀は観光客の哲学を論じた『ゲンロン0』の中で、観光客は「ふわふわ」したマルチチュードな存在だと定義している。何言ってるのか未だにわからないが、あずまん先生はヘーゲルの国家論などを参照しながら、観光客が世界に及ぼす影響を肯定的に哲学していた。


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ふわふわ。雲のような、掴み所のない曖昧な存在。

まさに先生方の言っていることは、大学3年の就活前にも関わらず、自分が何なのか全く知らない、これから旅行に行く自分を表す言葉ではないか。

考えれば考えるほど、自分の立ち位置と重なってくる。観光客ってなんなんだ。結局、何もまだ行動していない自分ってなんなんだ。向こうにいったところでも、結局、観光客というふわふわした立場。


もう、知ったことか。


あ、でも、この「諦め」ってこれってもしかして、ニヒリズムの克服?

そっか、だったらもうなんでもいいや。徹底的にカッコ悪い、でも自分が思ってること言おう。開き直ってみることにした。今回のブログの趣旨は、そんなところにある。

しかし、ただ海外で自分の主観だけ綴ることもつまらない。

そうだ、もう一人行く相方に世界を見せてみよう。(※次回、紹介予定)原作から脚本を構成するように、世界を脚色して表現してみよう。それを、他の人に見せてみよう。


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原作となるガイドブックは沢山ある。パッケージツアーは旅行代理店で買える。しかしガイドブックをもとに自分の足で歩きながら脚色して、他者に演じてもらうというのは、脚本に文字通りで筋が通っているように思えた。

自分の書いた論文の世界と間違ってても、どうでもいいや。目的のわからない人生。よくわからない世界、人々。面白おかしく、紹介してみよう。

舞台はマレーシア。脚色・演出は自分。主演は新しい土地に、見知らぬ文化にワクワクしてる友人。



それじゃ、明日から開幕といこう。

執筆:永井